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第28話 僕を困らせないで

last update publish date: 2026-09-29 09:00:31

「柊吾」

 燎の声から、さっきまでの熱が消えていた。

 男は、莉乃の腰へ手を添えたまま笑った。

「久しぶりだな」

「知っている人?」

 私が聞くと、燎は男から目を離さずに答えた。

「昔、SENOVAを一緒に作った男だ」

「それだけか」

 柊吾と呼ばれた男は楽しそうだった。

 燎の腕だけが、私の手の下で固い。

「今はそれで十分だ」

 燎が短く切った。

 莉乃は私と同じ紺のドレスを着て、柊吾の隣に立っている。

 髪のまとめ方も、耳飾りも同じだった。

 三日前、私が選んだばかりの姿だ。

 偶然ではない。

 本当に気持ちが悪い。

 私の真似をして、私の居場所に立っている。それを隠そうともしない。

「正臣さま」

 莉乃が会場の奥へ呼びかけた。

 こちらへ歩いていた正臣が、初めて莉乃に気づく。

 柊吾の手が莉乃の腰にあるのを見て、目元が冷えた。

「どうして、その男といる」

「私を連れてきてくださったんです」

 莉乃は正臣へ笑いかけた。

 けれど正臣は、もう私を見ていた。

 驚きが消え、その目に昔と同じ甘い光が戻る。

「灯里。やっと戻ってきた」

「戻ってきたんじゃない」

 正臣の笑みが止まった。

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    「本日付で、久条正臣を代表取締役から解任します」  一瞬、誰も声を出さなかった。  次の瞬間、会場がわっと爆発した。  椅子を引く音。  誰かが落としたグラスの割れる音。  役員たちが一斉に立ち上がり、報道陣が壇上へ押し寄せる。 「解任とは、取締役会で決まったのですか」 「後任は誰です」  質問が飛び交い、カメラの光が何度も正臣の顔を照らした。  正臣は動かなかった。  口元にはまだ微笑みが残っているのに、こめかみが強く引きつっていた。 「母さん、何を言っている」  正臣の声から、初めて余裕が消えた。  義母は息子を見なかった。 「必要な票は、すでに集めました」 「そんなものは無効だ」  正臣が壇上へ一歩近づいた。 「僕を下ろして、誰を置くつもりです」 「後任には、久条灯里さんを推薦します」 「灯里を会社に立たせるな」  正臣の声が鋭くなった。 「灯里は僕の妻だ。久条家にいればいい」 「その灯里さんから会社と研究を取り上げたのは、あなたでしょう」 「違う。僕が大きくしてやった」 「そして、才能のないまがい物に渡そうとした」  莉乃の顔が、大きく歪んだ。  正臣が、柊吾の隣にいる莉乃を指した。 「なんでわからないんだ! 莉乃も灯里だ!」  会場のざわめきが、一瞬で消えた。  正臣のそばにいた役員が、一歩下がる。  報道陣も質問を止め、互いの顔を見た。  誰一人、正臣の言葉にうなずかなかった。  おかしいのは、私ではない。  今度は、三百人がそれを見ていた。  同じ紺色のドレスを着た莉乃へ、何台ものカメラが向く。  莉乃はすぐに表情を整え、私と同じ角度で顎を上げた。  義母が初めて正臣を見た。 「目の前に灯里さんがいるでしょう」 「どちらも灯里だ」  義母の口元が、わずかに歪んだ。 「だから、あなたを下ろすのです」  会場が、もう一度大きくどよめいた。  三百人近い招待客が、一斉に私を見る。  白い光が目へ刺さる。 「桐谷灯里博士ですか?」 「あの桐谷氏の娘さん?」 「CARE-LINKの開発者ですか?」  報道陣の声が重なった。  本当に、義母は発表した。  久条家を継げば、父の会社も、私の仕事も取り戻せる。  正臣に親権を争わせず、奏汰を私のそばで育てられる。  

  • 夫がメイドを私の名前で抱いた――すべてを奪われた元・天才医療研究者は、冷徹社長に溺愛される   第28話 僕を困らせないで

    「柊吾」 燎の声から、さっきまでの熱が消えていた。 男は、莉乃の腰へ手を添えたまま笑った。「久しぶりだな」「知っている人?」 私が聞くと、燎は男から目を離さずに答えた。「昔、SENOVAを一緒に作った男だ」「それだけか」 柊吾と呼ばれた男は楽しそうだった。 燎の腕だけが、私の手の下で固い。「今はそれで十分だ」 燎が短く切った。 莉乃は私と同じ紺のドレスを着て、柊吾の隣に立っている。 髪のまとめ方も、耳飾りも同じだった。 三日前、私が選んだばかりの姿だ。 偶然ではない。 本当に気持ちが悪い。 私の真似をして、私の居場所に立っている。それを隠そうともしない。「正臣さま」 莉乃が会場の奥へ呼びかけた。 こちらへ歩いていた正臣が、初めて莉乃に気づく。 柊吾の手が莉乃の腰にあるのを見て、目元が冷えた。「どうして、その男といる」「私を連れてきてくださったんです」 莉乃は正臣へ笑いかけた。 けれど正臣は、もう私を見ていた。 驚きが消え、その目に昔と同じ甘い光が戻る。「灯里。やっと戻ってきた」「戻ってきたんじゃない」 正臣の笑みが止まった。「久条家には戻らないと伝えるために来たの」「まだ怒っているんだね」 優しい声だった。 以前なら、その声で名前を呼ばれるだけで、何もかも許したくなった。 今は、私の言葉を聞かないための優しさにしか聞こえない。 正臣の視線が、私の腰へ落ちた。 燎の手が添えられている場所だった。「妻から手を離せ」 正臣が燎の手首へ手を伸ばす。 私はその手を払い落とした。「触らないで」 近くにいた招待客が息を呑んだ。 正臣が、自分の手を見た。 私に拒まれるとは思っていなかった顔だった。 正臣はゆっくり顔を上げた。 口元には笑みが残っている。けれど、目だけが冷えていた。「灯里。みんなが見ている」 低く甘い声だった。結婚したばかりの頃、慣れない宴席で私の背に手を添え、「困ったら僕を見て」と囁いた声と同じだった。 あの頃は、あの手に守られていると思っていた。 正臣の指が、私の頬へ伸びる。 頬に触れられる前に、私は顔をそむけた。 正臣の指が宙で止まる。笑みが少しだけ深くなった。「僕を困らせないで」 声は穏やかなままだった。 帰れば、また扉を閉められる。首に、あの指の感触

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